今までずっと一緒に過ごしてきた、それが「あたりまえ」だった愛犬との生活。
別れはある日突然やってくる。
「あたりまえ」にしてきてしまった生活が悔やまれることだらけになる。
あのときもっと・・・ああしていれば・・・こうしてあげていたら・・・
後悔は後から後から溢れ出す。
ぽかんと胸に穴が空き、涙は枯れることを知らない。
寝ても覚めてもあの子のことばかり。
もうどこを探してもいないんだ。もう抱きしめられないんだ。
夢に現れ、聞こえるはずのないあの子の声が聞こえる。
もっと抱きしめておけばよかった。もっともっと大好きなことを伝えておけばヨカッタ。

私も2000年の夏に最愛であったタロを亡くした。
例外なくペットロスに陥った。
こんなに悲しいことが世の中にあるのだろうか?
・・・そう思うくらい悲しかった。
夜も眠れない。もういない姿を探して回って・・・・・。

こんなに悲しい思いをもうしたくない。
もう犬なんて飼いたくない。
そう思う人は少なくないだろう。

でも私はバスターに出会った。出会うべくして出会ったのかもしれない。
タロが「いつまでも悲しんでいないで!」と私にくれたプレゼントかもしれない。
私はいっきにペットロスから立ち直った。
なんて単純だろう、と思われるかもしれない。それでもいい。
新しく迎えた子犬(バスター)の世話にてんてこまい。
悲しみに浸っている暇など与えてはくれない。
子犬の成長は待ってくれない。日々大きくなっていく。日々学んでいく。
そんな生活の中でタロのことはしっかりと良き想い出として残った。
それでも時折、バスターの姿にタロを重ねてしまい悲しくなるときもある。
でもそんなことをタロは望んでいない。それは誰よりも私がわかっていること。
どこかの国の動物を愛する誰かが伝え残した(?)虹の橋のお話にジーンと来る。
タロもそこで元気に走り回って居るんだろうと思うと、少し楽になれる。

「死ぬのが嫌だから、悲しいからもう犬を飼わない。」
なんてどうか言わないで欲しい。
犬はアナタを私を悲しませるために生まれてきているのではないはず。
一緒に喜びを、時には悲しみを分かち合うために生まれてきているはず。
命は永遠ではない。永遠ではないからこそ素晴らしい。
限られた時間の中でどれだけの笑顔を見せ合えるか。一緒に笑えるか。

別れは勿論悲しい。
バスターが死んでしまったら、きっとまたペットロスになるだろうと思っている。
でもどれほどかかるかわからないがまた私は立ち直るのだろう、新しい命と出会って。



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